7.再会




1年生の教室は、いつ来ても独特の雰囲気に溢れている。新しい環境への期待と不安とが、部屋の空気までをにぎわせているようだ。
祥太郎は深呼吸した。緊張するのは何も生徒に限ったことではない。これから少なくとも1年は顔を付き合わせる生徒たちとのお目見えは、祥太郎の気分を昂ぶらせるには十分だ。

カラリと引き戸を開ける。例に漏れず生徒たちは落ち着きなく立ち歩いている。祥太郎は手にしていた出席簿を叩いて音を立てた。

「はい、席について! 出席を…あれ?」

目立つピンクのトサカが目の前にある。祥太郎は生徒たちへの初めての挨拶だと言うことも忘れて、ポカンとした。

だが、驚いたのはピンクのトサカも同様だったようだ。彼はゲッと言うような奇声を上げて、ガタガタと机と椅子を鳴らした。

「よりによって、おまえが担任かよ!」
「え…だって、夏目なんて子はいなかったはず…。」
「そんなことねーよ! 俺だってちゃんと掲示見て来たんだぜ。」

明るい笑い声が立ち上る。あのオリエンテーションの時に一緒だったナツメの友人たちも同じクラスのようだ。

「ナツメ、お前、今頃入学取り消しじゃねーの? 素行の悪さがばれてさ!」
「…ざけんなよ! そんならお前たちも道連れだろう!」

賑やかな声が交差する中、祥太郎は必死に名簿を見ていた。やはり何度見ても、夏目という苗字は見当たらない。

「え…やっぱり夏目君の名前はないんだけど…。」
「んなことねえって! お前らだって確認しただろう!」

ナツメはむきになって叫んでいるが、その友人たちは大喜びしてしまっていて、はやし立てる一方だ。
教室の中が始業前より騒がしくなってしまっている。お目付け役であるはずの祥太郎がいるのに、これはまずいのではないだろうか。いまさらながらそんなことに気付いて、祥太郎は慌てて生徒たちを諌めようとした。

「静かにしてください。」
「ちょっと、静かに…あえ?」

祥太郎の鼻先を掠めるように、静かな声が響き、喧騒が嘘のように静まった。祥太郎は叫びかけた声の行き場を無くして、思わず口をパクパクさせる羽目になった。

教室の隅に、眼鏡の少年が座っている。彼は自分の出した声の、思いがけない影響に驚いたようで慌てて目を伏せる。
その印象的な濃いまつげに、祥太郎は見覚えがあった。

「あ…あのときの。」
「ご、ごめんなさい、僕、騒がしいのが苦手で…。
先生…彼の苗字は日吉というんです。ナツメというのは名前の方です。それでも名簿にありませんか?」
「へ? ひ、日吉? あ…あった!」

思わず頓狂な大声を上げてしまうと、せっかく静まっていた教室が再び沸きかえってしまった。

「ご、ごめんね、ナツメ君。僕てっきり、漱石の方の夏目君だとばっかり思ってたもんだから!」
「ひっでー! だから俺は最初から、ちゃんと見たって言ったじゃん!」
「ごめんごめん、ほんと、ごめんね。」

思わず今まで咲良や瑞樹をあしらっていたときのように、子供っぽい笑顔を浮かべた祥太郎は、首を竦め、両手を擦り合わせ、更に小さく舌を出した。
やってしまってから、彼らとはほぼ初対面であること、自分の担任の教師としての立場に思い至ったがすでに遅かったようだ。

喧騒の種類がさっきとは違う。口笛が響いて、ナツメは満足そうな顔をした。

「………しょーがねーなー。そんな可愛い顔されて、いつまでも怒ってられねーな。」
「え…あれ?」

もしかして、さっそく直哉との約束を破ってしまったのではないのだろうか?

ナツメは立ち上がると、あの日のように祥太郎の髪をわしわしとかき回した。
生徒たちとの正式な初顔合わせだからと、少しは緊張して一生懸命整えた髪がぐしゃぐしゃになってしまう。

「だあっ! せっかくちゃんとしてきたのに!」
「…そーゆー反応がまた、可愛いよな〜!」
「と…とにかく出席取るんだから! 席についてよ!」
「はいはい、祥太郎先生。」

自己紹介もまだなのに、いつの間にか名前を…それも通称の方を覚えられてしまっている。

祥太郎は自分のクラスを見回して呆然とした。生徒のほぼ全員が祥太郎を、可愛い小動物でも見守る目で見ていることに気付いてしまったのだ。
なんだか、自分が目指していた教師と生徒像とはかけ離れた位置での人間関係が出来上がってしまった気がする。

「まあ…いいか。」

祥太郎はため息をつく。それでも、生徒に好感を持たれるのならば、不穏当な人間関係よりは数段マシだろう。

ただ一人、教室の隅の眼鏡の少年の悲しげな表情だけが気になる祥太郎だった。





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